三浦綾子記念文学館にはじめていきました。車で行くと突き当たりに森があり、その横に立っている印象深い立地でした。高校生の時に『氷点』を読み出したらやめられなくていっきに読み通して以来、様々な三浦綾子さんの作品を読みました。読むたびに自分の人生や神様に対する考えの甘さや弱さを思い知らされると同時に、それでも一人一人が大切な存在であるということ、私自身もそういう存在であるべきだということを考えさせられました。高校生・大学生の時の私の人格形成に大きく影響した作家だと思います。

文学館では三浦綾子さんの人生や作品を様々な資料から知ることができます。今まで刊行された数多くの作品も置いてあり、販売されているものもあったので、私は旅行の帰り道で読もうと思い『母』を購入しました。そこにあった一番薄い本だったかもしれませんが、その内容は本当に濃くて重い重いものでした。

小林多喜二の母であるセキが語るという形で進められていきます。セキさんの誠実に生きていても想像を絶する悲劇に襲われ、子ども(多喜二が)が拷問によって殺され、それでも自分は生きていかなければならないと誠実に生き続けるというその命のあり方に、何度も涙が出ました。そして、以前三浦綾子の本を読んだ時と同じように、自分の人生に対するの甘さを突きつけられるのでした。
文学館の中に好きなカードを1枚いただけるコーナーがありました。そこで私がいただいたのがこのカードです。

「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。」 三浦綾子『続氷点』[燃える流氷]
本当にその通りとしか思えませんでした。毎日毎日一生懸命に自分の為に何かを集めようとして50年以上生きてきたように思います。しかし、死ぬ時にはその何一つ持っていくことができない。そして死ぬ瞬間にそんな自分の生き方を後悔することになるのは当たり前のことです。当たり前のことなのに考えないようにしてるだけ。まるで何かを持っていけるかのように生きているなんて、よくよく考えれば滑稽すぎるぐらいです。真実を知らない裸の王様と同じかもしれません。いえいえ本当は知っているのに、知らないと思い込もうとしているなんてもっと愚かです。
そして与えることなんてできているのでしょうか。全然です。自分のことばっかり考えているんだから、当然人に何かを与えることなんてできていないのです。「残るもの」が何かはわからないけど、きっと愛とか優しさとかそういう目に見えないものが重要な分野なのでしょう。せめて反対の方向に力を注がないよう軌道修正できるといいのですが・・・後悔しない生き方について考えさせられました。
同じく三浦綾子さんが書いた『塩狩峠』は実際に起きた鉄道事故で亡くなった長野政雄さんをモデルにして描かれています。文学館では彼の姿を写真で見ることができて感動しました。彼の命の犠牲によって多くの人の命が救われ、続いていくことになったその人たちの人生の中に長野政雄さんが生きている。まさに彼の人生を与え切ったということに、先ほどの「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」という言葉を思わずにはいられません。
このカードの言葉、これからの私の人生で大切に大切にしていきたいです。
価格:528円 |
価格:935円 |